リーダー職で体調を崩して事務に転職

事務職に転職して楽になりました去年転職をしました。その時にいた企業が、残業があり得ないほどのブラック企業だったため、体調も崩しがちで、でもリーダー職だったのでプロジェクトの途中で投げ出すこともできず、転職のタイミングを狙ってました。

契約の更新のタイミングで、次を決めておいて転職。とんでもなくひきとめられましたが、しっかりと断って転職しました。前職までの経験にリーダー職が多かったため、好待遇で受け入れてもらえました。

近い業界ではありましたが、遠からずな微妙なラインの近さで、業務としては少し勝手が違っていました。リーダー職に疲れていたので、リーダーにはならないようにお願いしていたにもかかわらず、入ってみたらまたプロジェクトリーダー。直属の上司は、年中方向性が変わるタイプで、やっと決まって進んだと思ったらまた振り出しに戻り、そしてそれは全部こちらのせい。

という、前職よりもある意味過酷な状況に。せっかく過酷な状況から脱したと思ったのに、また違う意味で過酷な状況へ。もうどうにでもなってください。といった感じでまた、次の契約更新を待ちました。

ところが、なぜか契約は更新され、なかなか抜け出せない状況に。この環境で体調を崩したせいで、この仕事の後は失業保険をもらって少しお休みしました。そして、その後さらに転職。

今度は、家からも自転車で行ける距離にあり、アットホームな会社の事務所での事務員。今までリーダーばかりだったので、本当に楽ですごいよかったです。

何回か転職を繰り返してしまったけど、結局今はゆったりとしたところにたどり着けたので、良かったです。
転職をあまり繰り返すと印象が悪くなるとか昔は言われましたが、あってないところにいて体調崩すよりは、きちんと自分にあっているところにたどり着くためにする転職なら良いと思いました。

栄養士からwebデザイナーに変身

デザイナーに転職しました私は以前、栄養士として働いていました。しかし、毎日同じ作業の繰り返しで全く成長できないですし、このまま何年も働き続けても給料が上がる気配も無かったので転職を決意しました。

転職をするなら全く別の職種で一から始めたいという思いだったので、以前からずっと興味のあったデザイン系の仕事をしてみようと思いました。また、パソコンをさわることも好きだったので、webデザイナーに転職をしようと思いました。

しかし、転職といっても今まで栄養士としてしか働いてこなかったのでwebデザイナーの知識は全くありません。そこで、会社をやめてからパソコンスクールに通い始めました。初めから上手くいくとは思っていませんでしたが、やはりなかなか実力はつきませんでした。

しかし、もう既に会社は辞めているしやるしかないと思い、無我夢中で頑張りました。そうして約半年ぐらいでスクールを卒業することができ、就職も無事に決まりました。

今働いている会社は、ネットショッピングを主にしているところで、そのサイトのデザインを担当しています。
この会社を選んだ理由は、家から近いこともあったのですが、何よりも未経験でも大丈夫だというところでした。

デザイン系の学校を出ているわけでもないですし、スクールも半年しか行っていないので、デザインを考えてもやり直しばかりです。給料も以前の職場よりもだいぶん下がりましたし、貯金はできませんが勉強をさせてもらっているということで今は精一杯頑張ろうと思っています。

もっと自分の実力に自信がついて、一人で何でもできるようになったら、デザイン会社に転職したいなと考えています。

子供の卒業式に合わせて転職

子供の卒業式に合わせて転職転職する理由はいろいろあると思います。具体的にはキャリアアップしたいとかもっと収入をあげたい。
自分の力や資格を活かしたいというような理由です。

私が転職をした理由はいわゆるブラック企業だったからです。サービス残業、休日出勤のほかに日常的に
パワハラを受けていたためです。毎日罵声を浴びて時には手をあげられてという毎日でした。

こういったことから子供の学校の行事にも参加したことがなく家庭もうまくいかなくなっていました。こ
のままでは子供の卒業式にも出れないと思い転職を決意しました。

在職中に職業安定所の求人情報や携帯でハローワークの求人情報を見たりしていましたが、求人が少なく
すぐにはできませんでした。

卒業式まで三か月となり退職を決意しました。精神的にもかなりまいっていたというのもあります。多少
のたくわえがあったので大丈夫と思っていましたがなかなか決まらず苦労しました。

結局再就職はしましたが収入が大幅に落ちてしまい良かったのか悪かったのか複雑な気持ちです。

今思う事は転職サイトなどに登録しておけばよかったと思います。やはり在職中に転職先が決まっている
のがベストだと反省しています。失業中というのは想像しているより肩身が狭く精神的に良くないとおも
います。

結局焦って希望通りの仕事にはつけないという事になったのでこれから転職を考えている人にはハローワ
ークだけでなく転職サイトやエージェントといったものを有効に活用してもらいたいです。これが転職の
コツといえるかもしれません。

お金よりも大切なもの

眼鏡店の仕事は私に合っていました恵まれた環境だったといえばそうでしょう。高校を卒業し、そのまま就職した私が、二十歳前にして月収30万円を超える手取りを貰っていたのですから。

もちろん、基本給の話ではありません。毎月100時間に及ぶ残業代が課せられての収入です。ボーナスも50万円ほどいただいておりました。

これだけ実入りがいいと、さすがに何でも買えました。いろんなことに興味が出る多感な頃です。

本もたくさん読んでいましたし、いろんな音楽も聞きたかったですし、技術者としてパソコンは改造してスペックを上げて使ってましたし、楽器もやってみようと思いました。やってみたいことは、たいていお金で解決。

教習所に通い、車をわずか一年ローンで購入。高校時代の同級生からはうらやましがられる境遇でした。

しかし。精神的には決して豊かとは言えませんでした。いろんなことをしたいと思っても、結局時間がないのです。プライベートに割ける時間が少ないため、楽器をやろうと思っても練習する時間もなかなかとれません。一番辛かったのは、恋人が作りたいのに出会いがないことです。

そんな生活から脱却しようと、自分の時間をもっとたくさん確保できる仕事を探しました。本が好きだったので本屋さんの正社員募集は無いかな、と探しましたが残念ながら見つかりませんでした。接客販売業としては、一社だけ、全国チェーンのメガネ屋さんがありました。

とりあえず受けてみることに。面接官とは ”DTM” というコアな趣味で意気投合。波長があったのでしょうね。すぐに採用が決まり、転職しました。

給料は半分以下になりましたが、人との触れ合いもあり、自分の時間もたくさん持てるようになり、「お金よりも大切なものを見つけたな」と実感した転職となりました。価値観はそれぞれ。これは私の個人的な経験だと思います。

工場勤務から飲食店へ転職で頑張った思い出

焼き肉店に転職してパートさんに助けてもらいました私は長年、工場勤務をしていましたが企業縮小のために会社には居られなくなったので転職しました。

転職先は大阪では有名な焼肉チェーン店でした。なぜそこに転職したかというと大阪で働きたかったのと正社員としての働き口を探していたからです。ボーナスがあるかないかも重要でした。飲食業でアルバイトした事があるので接客は出来る自信がありました。

入社すると店舗での研修がありました。研修で実際その店舗で学びながら接客をするのです。最初は、お客さんのところへ料理を運ぶだけしかできませんでした。飲食業では4と9番のテーブルがありません。運ぶだけの仕事もテーブルの位置が分からなかったりしました。

運べるようになると注文を取りますが、ポスという端末を使って人数や料理を打ち込むのですが、ただでさえメニューを覚えていなかったので、注文を取るのは大変な仕事でした。また打ち間違えなどもよくして失敗ばかりでした。

レジを打つ研修もありました。レジはレジ専用の人がいたので打つ必要がありませんが、一応社員ですから一通りの事はマスターしなければなりません。レジでも打ち込む時に一桁間違えてしまいました。とにかく失敗ばかりで怒られてばかりいました。

前の職場では仕事で怒られる事が、ほとんどなかったので前の職場が良かったと思うこともありました。研修が終わると配属された店で働く事になりました。上司は厳しく、人間関係とかで悩みました。

そんな悩んだ毎日でしたがパートのおばちゃんが悩みを聞いてくれて助けてもらいました。そしてパートのおばちゃんに可愛がっていただきました。それが無かったらすぐに辞めていたかもしれません。実はそこでアルバイトの男の子から告白されました。生まれて初めての告白でした。今はいい思い出です。

転職面接に合格したが、面接官との間に認識のずれ

意外にも転職面接は合格でした私は半年前に転職しました。以前は社会福祉施設につとめており、夜勤なども行っていましたが、体力的な限界を感じていました。

定年まであと30年以上・・・ずっとこの仕事を続けるのか、このままでいいのか、今後結婚や出産をした時に続けられる仕事なのか、と常に不安がつきまとっている状態でした。

30歳になる前に現状を打破しようと、転職を決意。とりあえずスマホにハローワークのアプリがあることを発見したので、毎日時間の許す限り求人を調べ続けました。そして、希望の職種を発見。

給与面は満足いくものではありませんでしたが、立地条件や仕事の内容から「この仕事であれば定年まで勤められる」と確信し、履歴書を提出、面接を受けさせていただきました。

面接の際、呆然としてしまいました。「とりあえず、面接受けてみよう」くらいの気持ちで試験にきたので、ドアの前に誘導され、「中に入ってください」と言われた時、面接室への入り方がわからなかったのです。

ドアをノック・・・2回?面接室に入って、どうやって扉をしめるのか・・・。挨拶は?とにかく、頭が真っ白になりました。

どうにか席に着き、ほっとしたのも束の間、「志望動機は?」と聞かれ「・・・え?」という状態。「なんで私、試験を受けようとしたのかな・・・。でも動揺しているのは気づかれたらやばい。なにか、答えないと!!」と必死です。

どうにか、「30歳を目前に控え、今後、定年まで勤められる仕事を探していました。御社の業務内容や社風、地域貢献度などを考え、是非、私もその一員になりたい・・・・・」こんなことを答えたような気がします。そして、何がなんだかわからないうちに面接が終わってしまいました。「結果は1週間以内に連絡します」とのこと。

家に帰ってからも「やってしまった。世の中舐めてた。何も考えてなかった」と大反省。翌日はとても仕事に行く気持ちになれませんでしたが、どうにか出勤。

昼休みに携帯を開くと着信が。登録していない番号で「なんだ?」と思い、とりあえず折り返してみると前日受けた職場でした。試験を受けた職場の電話番号を登録すらしていない、ということにさらに唖然としました。自分自身が嫌になる、と心の底から思いました。

電話の内容は「採用したいと思います」とのこと。とてもびっくりしました。昨日のあの私を見て、どうして採用したいと思ったのか・・・。不思議でなりませんでした。

そして、1週間以内と言われていたのに、まだ1日も・・・半日も経っていないのに採用通知って・・・。しばらく頭が働きませんでした。

それからばたばたと手続きが終わり、初出勤の日。面接官だった上司より「あなたの 定年まで勤められる仕事がしたいと思った という言葉で一緒に仕事がしたいと思った」と言っていただきました。

ただ、話をしていると、どうにもズレを感じる。私としては「定年まで勤められる」=「夜勤なし、残業少ないので、結婚や出産をしても以前の仕事と比べ支障が少ないので続けられる。産休育休も取りやすい」という考えでしたが、上司は違いました。

「定年まで勤められる」=「とてもやる気がある人が来てくれた。定年まで働き続ける覚悟があるなんてありがたい。丁寧に仕事をおしえてあげたい」という思いだったみたいです。すぐに「やばい。やってしまった・・・」と思いました。

私にそこまでの情熱はない。それなりにやりがいがあり、資格を活かせる仕事ができればいい。数年以内には結婚して妊娠、産休、出産、育休・・・2~3年して第二子を!」と自分のことばかり考えていたのです。

転職して、数カ月経ちましたが、やはり罪悪感は消えません。でも、上司が期待するほどの情熱は未だに湧いてきません。毎日、「私、大丈夫かな」と不安になりながら黙々と日々の業務に取り組んでいます。

トントン拍子の内定は怪しい 転職の注意点!

直ぐに転職が決まった店は雰囲気が悪かったお恥ずかしいのですが、転職の失敗体験についてお話しさせて頂きます。

つい最近のお話しなのですが、飲食業の正社員の内定を頂きました。接客業にチャレンジしてみたかったからです。翌日に返事があったのでトントン拍子に話が決まって嬉しかったのですが、入社すると実態が掴めてきました。

ホールの勤務だったのですが、まずは従業員の方達の「オレ様」的な感じが目に付きました。新人に余計に構ってくる感じで凄く仕事がやり辛かったです。

店の感じもあまりよくはありませんでした。バイトの従業員はお喋りばかりしていて、お客さんがデシャップ(配膳する場所)を覗いてしまう感じでした。新人の自分はそういうお客さんと目を合わせてお辞儀をする感じです。

次にキッチンの腕前も微妙な感じです。料理を出すのに時間がかかるし、ライスなどの添え品を忘れてもホールが全て謝罪したりする対応量が半端ありませんでした。

最後には、デシャップとキッチンのミスでライスのオーダーが漏れていたお客さんが怒って店にクレームを出しました。そしてその飲食街の責任者がこの店のテナント自体にイエローカードを提示してきて、研修社員の自分が責任を負う形で退職しました。

退職の通告の時も「君はおかしい」などと罵声も言われました。その後この会社を調べると色々と出てきました。ネット上でも1つ星評価で自分が見てきた事が数年前の過去の掲示板に書かれてあり、数年経った今でも改善されていないのかと驚きました。

幹部も髭を生やしたり、カジュアルな格好で出入りしたりと常識的ではない感じであり、給料も提示額が振り込まれておらずという感じでした。

トントン拍子の就職は少し考え物です。その会社の情報を調べて検討された方が良いでしょう。

頑張れば、報われるのだ

長靴のおかげ?転職で志望動機もはきはきと答えられた私は高校卒業後、事務の仕事をしていました。憧れていた仕事内容とはかけ離れていて、毎日罵声や文句を浴びせられ、体調を崩して辞めてしまいました。

それから何年か経ち、結婚し、子供が1歳の時にコンビニでアルバイトを始めました。私が働いていたコンビニは最低限の人数で働いていたため、子供が具合が悪くなった時など急を要する時に、対応してもらえませんでした。このままでは、子供にも良くないと思い、ひそかに転職活動を始めました。

子供が小さいとのことで、かなりの数を落とされました。正直凹みました。落とされるたびに、もう一生決まらないかもしれないと暗くなっていき、それが逆にダメだったかもしれません。面接に行っても、またダメかもと思うと元気が出ず、やる気が無いと怒られたこともありました。

そんな中で自分でも笑えた体験談は、大雨の日に面接で、しかも午前中は仕事でした。間に合わないと急いで車で着替え、面接に向かいました。面接室に入る前から、何だか周りから見られていましたが、気づきませんでした。面接官に「急いできたのですね。」と言われ、足元を見ると、長くつ!急ぎ過ぎて、靴をはき替える事をすっかり忘れて長くつで行ってしまいました。

この時に、面接官の方も笑っていましたが、私も恥ずかしいを通り越して笑ってしまい、もう駄目だろうから好きにやろうと、全部正直に答えました。結果、この面接で内定をいただき、もう3年になります。

緊張がほぐれて、はきはき答えられたから良かったのか、何が良かったのか今でも謎です。でも頑張れば、報われるのだと感じました。今の職場は働きやすいです。大好きです。

勇気を出して挑戦すれば何とか合格することも

転職面接で勇気を出して挑戦すれば道が開けることも!転職話ということで、
私が自衛隊からプログラマへ転職したことを書こうと思います。

もともと私は忍耐強い性格と
自分の興味のあることに対しては物凄い集中力を出しますが、
興味の無いことはからっきしでしたので、
自衛隊生活も興味深く同期とともに楽しくやっていたように感じます。

しかしまだまだそのころは若く好奇心旺盛だったので、
当時パソコンについてのかなり進んだ知識を持っていた
同じ部屋の同期から、パソコンの分解結合から
ネットワークの最新技術動向について話を聞いているうちに、
私も自分でパソコンを駆使して建設的な仕事を
一人でできるようになりたいと強く思うようになりました。

そして1年間地元の職業訓練校で学んで
情報処理の資格を取得して
隣県のシステム開発を主とする会社の求人に応募しました。

ハローワークインターネットサービスを使って
予め調べておいた情報を持って、
その隣県のハローワークから紹介状をもらう予定で
一路高速バスでその県へ向かったのです。

昼ちょうどくらいにハローワークに求人を尋ねると、
係員がその会社へ電話してくれました。
そしてなんと、先方からそのままおいでくださいという
返事を貰ってしまいました。

これは完全に想定外で、なんと心の準備も整わないうちに
いきなり社長面接に漕ぎ着けてしまいました。
一応履歴書は持っていたのですが内心、
いきなり社長面接まで来てしまうなんて
もしかしたらブラック企業なのかもという一抹の不安はありましたが、
完全アウェーの上、技術職志望の癖に未経験者という立場上、
多少の苦労はどんと来いと思っていました。
忍耐力精神力は自衛隊生活で鍛えられていましたし…。

さて、その会社へ到着したのが
大体2時過ぎころでしたので
かれこれ3時間あまりが経過したことになります。
外はすっかり暗くなってしまいました。
ところが未だ面接官である社長は話し続けていました。
もちろん面接者は私だけ。
話の変遷がよく分からずダメ出しされたような気がしたりしましたが
なんとなく合格っぽかったようです。
というのもその場では合格か不合格か教えてもらえませんでした。

結局後日案内を送付するということで、
その夜は帰りのバス停留所まで送って頂きました。
そしてそのまま合格していました。

技術職への募集に未経験&高卒で応募し、
なんと面接の時は私服でしたがそれでも内定をもらえました。
成功の秘訣なんて分かりませんが
それでも勇気を持って踏み出してみれば
絶対無理そうなことでも意外となんとかなるということは
今回のことで分かったといえます。

一番大事なのは人間関係かな。

人間関係が良ければ、ブラック企業でも楽ですね私は某食品会社に高卒で就職しました。
その会社は主にパンを作っている会社で、出勤時間は朝5時。
大体定時で帰れる日はなかったです。白い全身覆うような作業服。
空調設備もないので堪える暑さ。冬は着込むしかない。

それでもパンを作るのは好きだったので苦ではなかったです。
朝早く毎日2時間は残業。たまに形の悪いパンをつまんで食べたりしました。
上司も面白くて、人間関係は抜群に良かったのは救いでした。

私の部署は残業があるからこそ生活できるような安月給でした。

ある日、定時で帰れる部署に部署異動の話がきました。
ただ、そこにはセクハラで有名な上司がいました。
普段接する分には大丈夫なんだけど、毎日となるとちょっと嫌だなあ~となるのは当然。
何かしらの言い訳をつけて断りました。

そのあたりからその会社に対する気持ちが変わってしまった。

その当時、派遣社員が目にとまりました。
時給高い。時間ももう5時出勤なんてしなくても良くなる。
作業服も全身白じゃないから髪もおしゃれできる。

こんな毎日5時だったら結婚しても朝食を囲んでなんてできないいんだろうな~?
よし!!まだ私も25歳前。。転職には遅くないぞ!!

散々引き止められて心苦しいところあったけど、私の心は決まっていました。

無事退職して、医療事務とホームヘルパーの資格を取ることにしました。

ニチイで資料請求してまずは医療事務。
両立しようかとも思ったけど器用な頭ではないので、ひとつずつ。
私が選んだのは一ヶ月半の短期コース。

習ってみて思った。
頑張らないと難しい。
何だかんだしているうちに講座は終わってしまいました。

次は試験の勉強をしながら、ホームヘルパーの講座。
ヘルパーは順調に進んでいきました。
施設での体験学習も無事に終わって資格を取ることができました。

医療事務は3回試験に落ちてだんだん受講費が大変になってきました。
一緒に医療事務を受講した友達が資格を取らなくても
働いていると聞き同じ大きい総合病院に申し込みました。
私が担当になったのは「消化器外来」

私は妊婦さんの代わりにとりあえず担当というかたちで、
初めからフルタイムで一人。
曜日を決めてパートが二人在籍していました。

高校で一応進学コースだったのに
パソコンを習っていなかったので
全て初めてな私は自分で言うのもなんですがお荷物。
教える方も大変だっただろうと思います。

派遣先の担当の話だと、「現場できちんと教えてくれるから大丈夫」
実際の現場はある程度出来る人を求めていました。

教えてくれる妊婦さんは優しくた良かったのですが、
もうひとりのいわゆるお局。すごかった。

なかなか覚えの悪い私に
「もう一週間経ったんだからもうわかったでしょ?」
「こんなに覚えの悪い新人来るなら、立派な大卒希望するんだったよ!」

一週間経った月曜日にはいつもの
「休み中少しは勉強してきた?
それとも全部リセットしてまた振り出しかな?」

そんなことばかりで洗脳されてしまい
覚えることもままならなくなってしまいました。

こんなんじゃノイローゼになってしまう。

当時の彼氏にも、
「ひどすぎるから、ノイローゼになる前にやめたほうがいいぞ。
自分のことは自分じゃないとわからないんだから。
精神病とかはなってしまってからだと遅いんだからね。」

派遣担当には何回か相談していました。
「あの人怖いです。」

いろいろ相談して、実際お局さまにも、
「こんなに覚えが悪いんだからきっとこの仕事は合わないんだよ!
そう自分でも思わない?
毎日同じ失敗してなんとも思わない?」

そして辞めたいと相談しました。
ノイローゼになる。
ただ、女の職場は怖い。
派遣担当の人が看護師のチーフに相談したらしい。

「あの糞ババアマジむかつく!!って言ってるらしいよ。」

それに近いことは誰でも思うだろうけど、
そんなストレートに私が言えるわけがないのに、
私が言ったとかいうことになって
お局が真っ赤になって私のところに怒鳴りに来た。

当然だ。
もう何にも言えない。
言えないけど、そんなこと言ってない。
きっと女の職場だし、噂になるほどに話はでかくなる。

もう本当に辞めたい。
でも休んだらもっと行きづらくなるし、
「お腹がいたので休みます」
なんて嘘ついた日には、「ちゃんと病院行ったの?」

内科だから症状名まで聞かれて
薬の名前まで聞かれるしお昼に薬飲む時に見られる。

友達や先輩に相談したら、
「辞めてもいいだろうけど、大人なんだから最後まできちんと出勤しないとね。」
と言われて
最後の日まで頑張りました。

最後の一週間はお局もみんな私が辞めるのを知っても
いろいろ教えるんだなあと複雑な気持ちでした。

しかし、お局に
「もう三ヶ月なのにまだわからないことだらけよね?やる気ある?
あたしももう教えるのも嫌になってきたんだけど
辞めたいとか思わないの?」

色々言われて、さすがの私も辞表を出していることを伝えた。
流石に毎日のように私がいない、
聞いていないと思って話している陰口も
全ておばさん声でかいから聞こえてるし、
そこまで言われて我慢できるほど強くもない。
ここらが限界。お局もそれからは優しくなった。

最後の日、お局は仕事を休んだ。

最後に言いたいことを全部言ってスッキリ帰ってこい!
と彼氏に言われたから少しドキドキして出勤したのに残念。

でも、最後のランチの時お局がいないからか
看護師さんや他の部署の事務の子が励ましに来た。

「大変だったねー!見てたよー!」
聞けば、いつも散々な人で前に居た新人は
二日目で帰ってそのまま来なかったらしい。

問題な場所に当たってしまったなーと思った。
他の部署もあるから経験を積むためにも
辞めないで部署異動にしてみたら?
と言う意見ももらったけど、
なんだか胸がいっぱいで無理だった。

今思えば、移動してやっていけばよかったかな。

次はホームヘルパーを取ったし
介護系で行こうと応募したけどなかなか受からない。
人足りてないって言うよね???
疑問になるくらい受からない。
仕方なくホームヘルパーの応募しながら、
派遣の方、工場の募集に応募したら受かった。

今まで工場でも食品系だったので
機械系の仕事は衛生的にはとても楽ちんだった。
時間もゆとりがある出勤時間だったし、
特になにも不満はなかった。

たまたま友達が派遣先で働いていたこともあって
毎日が楽しかった。
派遣だけどこのまま働いて行きたかった。

そんな私はあの、リーマンショックで
綺麗さっぱり派遣切りになった。

ニュースで派遣切りの話が出てから
私の会社も全体集会が行われて
契約終了かそのまま準社員になる話だった。

できるなら準社員になりたい。
その期限まで半年があった。毎月少しずつ人が減っていく。
「いないってことは切られたんだなー」
なんだか切なかった。

期限まであと一週間という時に、
私の携帯にも派遣会社から電話があった。
出たくなかった。
できることなら見たくない現実。

でてみたらやはり契約終了の話。
有給も全部消化とは行かないみたいな話。
絶望的。
契約終了とは言ってもその日まではまだ一ヶ月あった。

友達に話をしたらすごくがっかりしたいた。
まー考えてみれば、
最近海外の会社の子が工場見学しに来て
私の部署を隅々見ていったなー。
それって、私の部署が海外に異動するってことだったらしい。

そして契約終了。約2年半。
有給を使い果たす前に
昔いたパン工場の知り合いに聞いてみた。
夜勤ならいいぞ。
夜勤はちょっとなー。
そんなわけで職安で今度も食品で応募した。

そこはパートでもボーナスが出る。
朝もまあまあ普通。パン屋さんよりは遅いから
贅沢言わないでとりあえず受けてみた。
面接を受けて一週間と言われたけどすぐに電話が来た。
受かった。

そこに今でも働いています。
いわゆるブラック企業らっしいけど私から見れば、
人間関係を見たら医療事務のお局に勝る曲者はいない。
だから一応働いている。
結婚して育休ももらってパートの割には
恵まれているなーと今は実感しています。

最後に何回も転職して思うことは、
できるなら卒業して始めて働いた会社で
ずっとが一番だと感じます。
男なら特に。

どの会社に行っても多少は大変だし苦痛だけど、
一応出勤したら給料を貰えるようなら頑張ってこなして欲しい。
営業みたいにノルマがあるなら大変そう。

稼がないと生活はできない。
できり限り好きに近い仕事について
一生楽しく暮らしていきたいですね。